体育会空手部となる
戻って昭和4年、慶應は学校の部では率先して正式に「空手」の字を採用し4月15日慶應義塾空手研究会となった。
そして7年2月3日塾内対抗競技部新種目団体となり、次いで同年10月15日、
皆が待ちに待った体育会空手部の認可を槙体育会理事より戴き部員一同道場で飲み、歌い、踊って、巻紙に筆で「部員一同欣喜雀躍手の舞い足の踏む処を知らず候」と
候文でしたためられた槙理事への礼状が、後に学校から返還されて今も三田綱町道場に飾ってある。皆の純真な感動の場面が忍ばれて胸が熱くなる思いがする。
慶應義塾唐手研究会創立の日、これが8年後空手部創部の同月日となったのである。
昭和7年10月23日、三田空手会が創立した。本章の末尾にも書かれた慶應義塾体育会空手部OBたち全員の平等の関係による会員相互の信頼と協力。
空手部の援助と指導。先輩への敬意。を根本とした、現在までに延べ1000人を越すOBの親睦と協力の会である。
振り返ってみると、我々の空手部は、その創立期は先輩方が誠にまじめで、真摯で、学問的であった。
次いで戦時期に入ると、ロマンチシズムとインテリゲンチヤを標謗し、むしろ自由に生きた。戦後は荒廃の中から立ち上がって夢を追いながら、それぞれの時代に現実に対処して生きてきたように思える。
|