新道場の建設
昭和3年5月3日、それまで野球の早慶戦の勝利の夜の提灯行列用のカンテラを置く俗名かんてら小屋を学校から借用し初めて空手の道場とし稽古を開始した。
その時の先輩方のお喜びは想像して余りある。又、それまで、その後も今日まで、柔道部、剣道部にいかにお世話になり、そして器具をすり減らして来たことか、それらを我々は忘れてはならない。
そして現在尚、寒稽古、関西大学との定期戦等にお借りしている。
昭和9年5月5日綱町に初めて空手新道場が落成した。部員達の喜びはいかばかりであったかと想う。
この道場は43年迄31年余部員達が永く愛着をもって使用し戦前、戦中、戦後の苦楽を共にした。
この道場を所謂カンテラ小屋と勘違いしている人が少なくないがその前の之が出来るまでの道場として使用した建物ががカンテラ小屋である。
昭和12年5月6日日吉新道場、26年5月27日同じく日吉新道場、33年4月27日日吉道場、33年10月11日工学部(現理工学部)小金井新道場、38年8月医学部信濃町新道場、
43年10月20日綱町新道場、そして平成4年9月27日の蝮谷新道場へと繋がってゆく。 平成元年春、突如として体育会から、
もはや蝮谷道場の修理は不能との連絡が入った。学校は丁度藤沢やニユ−ヨ−クの学校建設中で資金が不足しており厳しいが、3年後に控えた体育会100周年記念行事の一環として少しの援助は考える、
とのことでだった。慶應は伝統的に体育会OBの愛部精神と情熱に期待しているのだ。当初より学校は我々が6500万円の寄付を約束する文書を学校に提出してからでないと建築を認可しない建前であり、
菅会長以下「全員参加」をスロ−ガンに一丸となって協力しあい、1件の法人を除きOB会員のみによるほぼ2倍の1億2千300万円の浄財が集まり、道場面積も2倍となって、
平成4年9月27日道場開き、竣工祝賀会を開催し、ご来賓、及びご家族、部員達そして共に協力しあって進めたレスリングの諸兄方と慶びをわかちあった。
学校も空手とレスリング双方に各2000万円を下さったが当時の状況からすれば大変なご好意であった。
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