空手のこと(組手)
組手では実際に試合に近い状態での組手の基本形を造りだし、
勿論それは従来の一本組手より遥かに試合に近い実際的なもので、
且つ、連続的な攻撃の行使による約束組手の形でなければならない。
これを具体的に言えば、攻撃側は定められた2か3の攻撃手の技を可能な限りの速度で連続的に実施し、
受ける側は之を受けて直ちに決め手を入れて一本取る。双方がこれにかなり慣れた段階で攻守を入れ替える。
更に慣れた段階で攻守それぞれの手を各自が自ら決めたものに変化させる。但しこれは行使する前に事前に相手に
その内容を伝えなければならない。ほぼ、最終段階では攻撃側、受ける側と分けずに、
双方が相手の隙を見た瞬間に攻撃をしかけ一層リアルの度を高める。之は又、相手の隙を発見し見極めること、
次の瞬間に有効な攻撃がスタ−ト出来ることにも慣れる。但し、一定の熟練を要する。
同時にこの段階では、攻撃手、受手についても各自の研究と進歩によって試行錯誤を経て新しい手を生み出すものとする。
又途中の段階で攻撃側は受手が十分に受けられない場合は攻撃手を2、3で終わることなく更に連続攻撃して勝ちを取って
差し支えない。尚、この組手形の場合は使用するグロ−ヴは通常の試合用のものよりも一定の検討期間を経て後に大きいものと
し、更に、双方一層注意を徹底して危害無きを期する。
以上のように過去の形にとらわれない稽古上可能な限り実際に近い効率的な組手形を各自の研究、
経験を加えながら開発する。従来欠陥と考えられるほど経験が生かされず、又研究が具体的に進められていなかった
カバ−や実際上の防御も進歩させなければならない。
上記を反復して稽古を重ね、身につけ、基本に則した効果を持つ決め手が試合に則した組手の場で有効に実現可能と
なるる事を一貫した、目的、目標とする。 又、空手にはどういう訳かカバ−が無い。
足では金的のカバ−などもなくはないが、手で打ち合う武術としてはボクシングがあれほど
カバ−を意識し研究し稽古を実践しているのを見ても、又、空手の試合でカバ−をすることを知らぬか、
やらぬかで当てられて怪我を負う物を見るのが口惜しく、又、カバ−せずに怪我を負った選手が
其後も一向にカバ−で改善、進歩しない者が多い。
以上未だに空手にカバ−の観念が乏しい事が不思議ともいえる。
昔は組手の機会が現在と比べてかなり少なかったことでもあり経験と必要性からも研究して改善することも
進まなかったことかも知れぬがこれは武術本来の要素である上、直ちに次の連続攻撃を行う為にも、
顔面その他の危害予防の為にも引き手の位置と同様に研究し習熟を進め、身に習慣的に記憶させる必要がある。
又,蹴った後の足をいかに早く床に下ろすか、蹴ったあとの足、
ひざを中段に維持することはカバ−の意味がゼロではないがこれは主目的とは考えられない。
これは明らかに不安定であり隙も多く非格闘的である。私は学生時代から飛び蹴りなどの場合、
片方の足を極力伸ばして少しでも早く床に着けられるよう次の動作への準備を意識していた。
伊藤俊太郎さんは組み手を自ら研究され、合理的に造り出し、対峙する相手との「線」。
手、足のある位置から相手の狙い場所へ直線で行う攻撃。スピ-ド。
その他突き手、蹴足の立ち方の始めから終わる迄の手、足、の動きの無駄のなさ。
歩幅と体重の移動法。突き、蹴りの破壊力。本能的な抜群の動きと体の移動。相手に則した瞬時の身のこなし。
打ち合った時の野獣の気性。どれをとっても最高のものであった。そしてその全てが一つに統合され一致された
不世出とまで言われた方であった。常に「空手は感と腹とスピ-ドだ」を強調しておられ徹底して合理に徹し形式を排された。
また高木さんも同様であった。そしてお二人は各校OBの方々からも最も信頼が高かった。
伊藤さんの著された「空手」と言う只、二字の本がある。
全て組手である。殆ど全てに手の一つ一つの写真解説入りである。その全ての手は相手と実践してご自分で研究、
思案された結果である。このような空手の本を見たことがない。しかし近時、慶應の選手の空手は「気」に欠ける。
今年も委員の依頼で「拳報」を書くとき、これを書くべきと思いあたった。技の巧拙、経験の如何を問はずこの「気」、
つまりどんなことがあってもくじけず、自らの不屈の精神と意志で、一本取って勝つ。このことである。
身を捨てて体ごとぶつかってゆかず、全てを賭して、審判が一本を宣する迄、その声を耳にするまで、
絶対に攻撃を連続でし続ける、その「気」と実行がなくて何で勝ちを制することができるものか。
慶應の試合を見ていて、試合に燃え尽きるような情熱、真っ赤な炎のような闘志、
何者をも砕いてやり抜き目的を達する巌のような気力と意志が、体全体から溢れ出るものを見せてもらっていない。
これがあるからこそ、審判達も観客も自ずから勝利の一本の手が挙がるのだ。勘違いしてはいけない、
小手先の技や、相手を圧倒し抜く岩をも射通す絶対の気力のないものに勝利はない。これを確りと身につけてこそ
慶應義塾体育会空手部なのだ。 尚、部を強くする為には残念ではあるが、
現代はAO制度の活用が必須である事を確実に認識し具体的対応策を計画、立案、実施する必要がある。
之に限らず常に意識を持つ処に、何かに触発して発想と進歩が生まれる。
又、慶應の一環教育の長所と利点をより積極的に生かして活用する他ない。
やはり空手も考え方を既製概念で一つに固定せず弾力的に複数の視点による変化を遂げて行かないと、
研究を強く進めてゆく処の後塵を拝することとなる。 以上重要なことのみ。これは私の一OBとしての意見である。
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