関西三田空手会のこと
昭和30年11月28日関西三田空手会発足、その後もよく結束を守って健全に歩みを進め、永く関西地区会員の拠所になって三田空手会の一翼を確実に担っている。
永い間、学連の大阪における試合、関西大学との定期戦その他において部員たちが厚いお世話にあずかり義塾の先輩、後輩の関係の暖かさに皆感謝している。過度にご負担をかけるようなことがあれば申し訳ないこととなると気にもしている。いずれにせよ皆様暖かい方々で学生のみならずobが転勤してゆけばいろいろとご指導を受てなごみ親しませて頂けることは誠に有り難いことと思っている。 45年山崎照雄先生がご就任された。倫理学の教授として正義感を堅持した正しい生き方を守り通し、60年まで永く、良く学生を指導された先生であった。ご他界された際のご葬儀は三田空手会と空手部が先生のゼミナアルの方々と共に担当して皆でお送りし、「三田評論」に師弟愛の美談と記載された。奥様にも部員たちはいろいろご心配をおかけし大変にお世話にあずかった。 47年小幡功さんが第二代師範になられ、温厚で良い意味で古風な風格をお持ちでそれを厳格に伝えられた。その意味でも貴重な価値をお持ちであった。生涯を慶應の空手の為につくされ第二代三田空手会長、初代審査委員長、OBとして初代の師範、そして全空連並びに全日本学生空手道連盟共に初代理事長、日本の本州出身の空手人としての最長老であった。
53年9月大学空手部第一回の海外遠征でハワイへ、ハワイ大学と交歓稽古、
58年慶應義塾創立125周年を日吉で、
60年安東伸介部長ご就任、英文学の大家であり同時に福沢先生、小泉信三先生にかんする権威者として名高い。学生は勿論、会員にも義塾の古き良き文化を努めて継承され知的影響を大きく与えられた。身についた英国のジェントルマンシップを学生にも、社会にも常に具体的に求めておられた。平成10年に交代された。本平成14年4月21日早朝、70歳を直前にして早逝された。誠に惜しまれることであった。
時代は平成となる。平成2年ケンフ゛リッチ゛大学空手部一行が慶應夏合宿に参加、10日間の稽古と生活を共にし帰国。これを機会に定期交流始まる。
4年4月26日、日吉記念館において体育会100周年記念式典。 平成10年清家篤部長がご就任。新聞、テレビでの論説を始め著名な学術派であるばかりでなく、学生その他の指導の上でも福沢先生の独立自尊その他に関する解説、指導も誠に正当で大変勉強になる。そして非常に温和であられ我々にとっても勉強になる。極めてご多忙のなかながら今後も学生の為に永く部長をお続け願いたいと考えている。 医学部空手部部長先生方は残念ながらお目にかかる機会が少なく若し間違った記事となれば誠に失礼となるので、お名前と年度だけを記述させて戴きます。
36年、初代影山圭三先生。40年、佐々木正五先生。49年、嶋井和世先生。
60年に石村巽先生がご就任され、平成13年までの16年間よく部員のご面倒とご指導をくださった。このほどご定年で退職され米国テキサス大学で新しい研究に挑まれる。信頼のおける方であった。昨平成12年長いご研究の成果で、福沢賞を受賞の栄に輝やかれた。
野沢志朗先生は平成13年春ご就任され、ご挨拶の内容と印象が大変に気さくで、又お会いするのが楽しみな先生であります。部員達は部の後輩でもあり、そのことも初めてのことでもありこれも又、楽しみのひとつであります。これからの部員達への学問的影響は勿論のこと人間的なご指導も期待される所大であります。 慶應義塾体育会空手部75周年の記念行事は、平成11年11月13日、祝賀会、演武会が日吉で盛大に行われた。鳥居泰彦塾長、石川忠雄前塾長、坂本関東学生空手道連盟会長、宇田早稲田大学空手部長を始めとして640人のご出席を得て演武会も共ににぎわい、さすがは慶應の空手とのご評価を慶應の内外から頂戴した。上野実行委員長以下特に32年卒業のOB達、和田監督、池田(誠)君、豊田君等を始めとするOB達一同の献身的な働きによるものであった。
大勢のOBや部員一同の「会のため、部のため、心を一つにして」をスロ−ガンに皆が懸命に協力して実行した成果だった。75年史は中尾宏さんの編纂によりこれにふさわしい立派な内容で完成され、他のこれに類するものが殆ど特定のOBによる思い出文の文集であるのに対し、当史が歴史を追って編集されたことに特長がある。 慶應義塾体育会空手部は初頭に述べられた通り最も歴史のある大学空手部である。それ故に部員並びにOBはこれを十分に自覚し、人間として、慶應義塾の学生として、空手部員として、日々改善と進歩に勤め、責任ある正しい人間として世に生きなければならないと考えている。
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