空手道連盟のこと


 昭和11年11月7日大日本学生空手道連盟発会式が行われている。因に、4年10月20日空手道宣言が為されている、軍事的圧力が次第に高まった時節柄のことでもあり何処かの指導もあって行われたのかもしれないが解らない。只、この当時学連は関東と関西の両方にあって、双方での連携はしていなかった(松崎さん)。 昭和16年夏、松崎、緒方、(現)緒明さん方が、学生連盟設立、空手の研究、調査等の目的で沖縄を尋ね流派各派の長などと面談されている。只、残念ながら12月には第2次大戦に参戦し計画は頓挫した。

 高木房次郎さんは、全日本を傘下にした全日本空手道連盟専務理事であった間その組織の確立と整備に一貫して情熱を以て当たるとともにアジア大会の参加も成し遂げその最大の功労者であった。私は東京都空手道連盟の理事であった折、理事会でその会長であった笹川良一氏から「高木君は私学の出で、やはり、やることをやるね」といわれたことがあった。そして後に中央技術本部長を兼ね、更に世界空手道連合(WUKO)の事務総長となった。体制と組織の充実と整備、その活躍は私等の知らない面でもかなり多く、今にして知る面が少なくない。 小幡功さんは昭和32年の全日本学生空手道連盟、39年の全日本空手道連盟創設時の共に理事長であり正に空手界の最長老てあった。又、高木さんも共に事務局長で自身の計画を以てすすめていた。そして事実その影で全体とも折衝し動かしていたのが、知る人ぞ知る伊藤俊太郎さんであったと言う。伊藤さんが亡くなった時全空連の理事会で笹川良一氏が「伊藤俊太郎君に敬意を表する」と言って理事達の前で黙祷したと高木さんから伺っている。

 尚、確か45年、会長は全日本が大浜総長から笹川氏に、全日本学連が少しして同じく大浜総長から笹川氏となった。

 空手道連盟ではその草創期から多くのOBが大変尽力してきたが現在は和田(定)君が関東学生連盟の理事長、西谷君が全日本実業団連盟の理事長である。又、全空連の昇段審査の指定形のうち「慈恩」の教本は真下君の写真によるものである。現在、奈蔵(稔)君が慶應の基本形の写真集を自らまとめている。