沖縄に於ける空手関係史
昭和元年 昭和天皇 //総理大臣 若槻礼次郎
1926年 昭和と改元。
同年 屋部憲通、ロスアンゼルス、ハワイで唐手指導。
同年 宮城長順、立命館大学唐手研究会師範となる。
この頃、唐手の防具が研究され、摩文仁賢和らにより剣道、野球などの道具を改良して造りはじめる。
5月 摩文仁賢和、空手術普及のため上京。
11月10日 祖堅方範、昭和天皇即位大礼式(京都御所)の奉祝行事で演武。
1930年5月 関西大学唐手部設置。
この年、船越義珍他慶應大学の唐手部の合宿の様子と船越の「ナイフアンチの形」等を撮影。(フィルムは沖縄県立公文書館、沖縄県空手博物館保存)これはおそらく粕谷真洋氏の子息所有のフィルムを同氏が寄贈されたものと思う。
この年大島劼(米国松涛館創設者、早稲田大学OB)岡崎照幸(日本空手協会、拓殖大学OB)出生。
この頃から本土では稽古着に所属流会派の名、或はマ−ク等が書かれはじめるようになり次第に広がり70年台には一般的になった。
1931年 宮城長順、「剛柔流拳法」を執筆(沖縄県空手博物館に草稿コピ−保存)。初めて那覇手を「剛柔流」と命名
1934年 船越義珍、本郷弓町に空手道場を建築。船腰の書の雅号の松涛をとって松涛館と命名この道場で行われた空手を人呼んで松涛館流といった。船越は終生「私は教えられた空手を人に教えただけで自分で流派を開いたことはない」と之を否定した。
従って、沖縄では松涛館流と言う言葉は聞かない。又、早稲田大学空手部OBは日本国内及び諸外国に空手道場を持つが、「関西松涛館」「米国松涛館」等と呼称し流と言う言葉は一切用いない。それらが正確である。
1935年 船越「空手道教範」を執筆。後に米国松涛館大島が英訳して出版。
11月7日 大日本学生空手道連盟発足(青山会館)
この頃、既に本土でも船越を中心に慶應大学等が「唐手」を「空手」と改名しており、沖縄でも中宗根源和、太田朝敷などが中心となって県当局に呼びかけ多くが同調し、翌37年頃には「空手」表記に落ち着く。
1939年5月5日 関東学生空手道連盟設立。
1941年 沖縄県の指定する空手専門委員会が「普及形」完成。
12月8日 太平洋戦争勃発。
1945年6月23日 沖縄戦終結。
同年8月15日 第二次世界大戦終結。
1947年7月 長嶺将真、「松林流」と命名。
同年 日本空手協会を設立。船越自ら最高師範となる。
1952年6月1日 空手道剛柔流振興会発足(会長宮城長順)。
同年 摩文仁賢和死去。
1953年10月8日 宮城長順死去。(68歳)
1957年4月26日 船越義珍死去。(88歳)6月22日「船腰義珍翁追悼演武大会」国際スタジアムにて開催。
(1957)昭和32年
同年11月30日 全日本学生空手道連盟が第一回全日本大学空手道選手権大会挙行。(因にこの時はまだ全日本空手道連盟は結成されていなかった。明治大学、優勝。於て国際スタジアム(両国旧国技館)。
1960年 沖縄空手道連盟初の段、級制を実施。3段25人、2段23人、初段40人発表。
この頃までは、空手道具は、馬車屋、鍛冶屋などが製作し、或は手作りが主流であったが、1970年台になるとスポ−ツ用品店や専門店で購入するのが一般的となった。又、三戦「カ−ミ」は沖縄方言であり、「壷」のことで三戦の形を鍛練するためのものであるが、米軍用の水罐とか一斗罐で昔は代用したとある。そして道場内に形を研究するための鏡が置かれはじめる。とある。「マチワラ」は稲の減少の為「ワラ」からゴム.皮へと変遷した。それまではワラが主流であった。
沖縄の空手道場については、1950年台は自宅の居間を利用したり、青空天井、或は師匠の宅の中庭半分道場の形式が一般的であった。しかし、60年代にはいると道場正面に神社の神棚や師の写真、道場訓、拳法八句、掛軸などを武の神(「ブサ−ガミ」「ブサ−ガナシ−」)としてたてまつり、道場の安全を祈願するようになった、とある。同じく60年代から女性が進出し始め、糸数カメ、上門代子、比嘉清子などが登場し女性排出の幕開けとなった、とあり道場や神棚などは、本州が早かったがその他は大体、同じ傾向を辿っていると考えられる
1961年 米国、カナダより多数の若者が沖縄の道場へ入門。
同年 『沖縄伝武備志』大塚忠彦、(ベ−スボ−ルマガジン社)(東京、中央区で戦後間もなくから空手道場を開く。併せて地域振興に長年にわたり献身的に貢献、又「武備志」を自ら毛筆で写本、空手関係著書多数)
1963年 全日本学生空手道連盟機関紙『学空道』創刊。
昭和39年
1964年 全日本空手道連盟創立。初代会長、大浜信泉(早稲田大学総長、全日本学生空手道連盟初代会長、早稲田大学空手部長、沖縄県出身、南邦同胞援護会会長として長く沖縄返還の対米交渉の日本を代表する機関の長として活躍。)
この参加団体、全日本学生空手道連盟、全日本実業団空手道連盟、全自衛隊空手道連盟、日本空手協会、日本空手道剛柔会、全日本空手道連合会、和道会、糸東会、練武会など全日本の諸流派、団体(都道府県別44余団体)を以て設立。
同年 大山倍達、極真館設立。
同年 「空手シリ−ズ」切手で「ナイフアンチ形」採用。1965年 第一回日米親善学生空手道大会開催。(武道館、大阪府立体育館)
1967年 東京都空手道連盟発足。一ッ橋大学OB大竹一蔵、理事長就任。
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