空手のこと(1)
(A)高木さんの「空手青年のひとりごと」のこと。
極く最近、高木房次郎さんの書かれた「空手青年のひとりごと」を再び読み直して、年齢では高木さんが亡くなられた歳に私はあとふたつ、みつに迫っているが空手に対する理解と思想のうえで如何に私が至らないものであるかあらためて痛切に感じた次第であった。私も高木さんの感化は昭和22年から受け続けてきて、且つそれを幾度も目からうろこの落ちる思いで強い衝撃で受け入れてきたものであり又それ故にこの本に書かれている空手に対する理解や思想も今までに幾度も聞き、理解してきたつもりであったが、にも拘らず改めて又、感じ入ったのであった。
それは一つには高木さんの人間のスケ−ルであり知識の広さであった。あの方の考えには固定的なものがない。空手の立ち方も、形の挙動も、組手の対応も自由で自由人そのもののまま生きている。私にも高木さんの影響はいろいろと生きているのだがあの方の思想はずつと根本的であって規定された概念の固定ではない。端的にいえば、空手に対する理論として「大先生がこお言われた」「昔こうだった」がないのである。勿論大先生の理論、教えに、正しい根本的なものが多数残されていることは言うまでもない。
(B)現在の空手の問題点と方向性。 (他の格闘技との競合。当てないことの致命的ネック。作法のこと)
空手はいま世界的に厳しい時代を迎えつつあると見てよいように思う。それは昭和の始め空手の激しさ、強さが日本社会の一般に強く印象付けられて広がった時期を初期として捉えるとすれば、次いで戦後に外国人達がそれまで日本の格闘術としての投げ、押え、逆といった、柔道、相撲から空手、即ち突く、蹴るを中心とした打撃効果の高いしかも単純でスピ−ドがあり、かつ直接的な空手に一遍に注目し、言わば初期的ブ−ムを起こし、更に続いて試合形式、制度の成立によって世界的に大ブ−ムとなった第二期。(先日、読売新聞に、本年世界柔道連盟の理事に就任された山下泰弘氏、が書いた記事によると現在米国では柔道はマイナ−であり山下氏がロスアンゼルスのオリンピックで優勝した時を最後にテレビで放映されていない。一方空手やテコンド−はメジヤ−と書かれていたが、惜しまれることであった)
そして現在、k1、プロレス、他、乱立する各種格闘技、ボクシング、相撲そして本年、強化策に画期的といってよい成功を収めた柔道、これらに空手が遅れをとることは許されず、若し何かの機会に空手が他に破れる事が起こり、之が広がって空手の強さに疑義が生じることにでもなれば外国における空手人口の減少につながりかねない。現在の格闘技乱立の状況は不安定さを含んだ第三期と言えるかと思う。只、k1等は別格の体力を必要とするが、空手は普通人から入っていける特徴を持つ。
尚、三年ほど前、日本空手協会が日本一の道場を建設し、その道場開きで私が乾杯の音頭を取らせていただいた折や、正月の鏡開の乾杯の折などしばしばスピ−チでK1に勝つ意識を持って下さるよう申しあげている。
私は空手が当てない事が宿命的なネックだと考えている。しかし、間違ってはならない、当てないということに決して妥協は無い。体育或はスポ−ツの中に直接ひとに危害を加えることを目的とした運動行為によって直接的に危害を加えることは許されないのである。(ラグビ−のタックルで怪我することと本質が異なる)
只、当てないことによつて空手が実際に強いのかどうか、勝ったのか負けたのか、よけられていたのか否か、他の武術に対しても時には空手に対してさえも之が明確にならない。これは空手の進歩を大きく阻害している。反省が生まれにくく改良がしにくい。自己満足に陥る例も少なくない。これについての改善の為に困難は多いが連盟、協会などで理想的な防具、器具に向かって開発を進めることが何としても必要であるが成功の見通しは容易ではない。理由はいうまでもないが防具によって空手が決定的に変わってくるからである。
今、K1その他現況の格闘技に対する空手関係者の意識を尋ねてみると概して年輩層にはかれ等と競う考え方は無く、勝負を超越して人間的精神的修行の方向を求める気持があり、一方若手層には負けられない意識がある。年齢に限らず個人の立場と空手全体を見る立場とは又、当然異なると思うが私は双方を善きと心得ている。やはり空手全体としては他の格闘技の風下に立つわけにはゆかないのである。
他面、空手は日本の伝統文化の一つとして礼儀、作法、道徳、信義、そして特に若い層に正義観、責任観を空手を通じて稽古並びに大会その他集会の場で植え付けるよう運動を起こす必要を痛感する。それは杓子定規の一律の行動でなく各個人の自由な意識の中に育てたものであるべきである。私は空手の試合制度創設期から試合会場の玄関前で先輩達が来ると大声でオス、オスなどと、旗を持って競うごとくに騒ぐ学生達は、表現は不本意だが、ずっと以前から「劣等感のうらがえし」と言ってきた。他の運動競技でも武道でもあのような例は見たことがない。よそで幸い真似するところはないがおそらく笑っていることだろう。それらを学生やOB達に広く伝えたいものだ。空手の学生全般を見れば誠に残念ながら他の運動部と比べて柄もよくないと思う。
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